
長谷川町子による新聞連載漫画の金字塔 『サザエさん』・・・・戦後日本の中流家庭を象徴するような、磯野家という三世代が同居している七人家族の物語です。
登場人物の一人、磯野浪平は、物語の核となる磯野家の家長であり、典型的な昭和のサラリーマン。
経理部あたりの勤務を思わせる堅実さを備え、時間と規律を重んじる真面目一徹の姿勢は、あの時代の父親像そのものです。
浪平は54歳という設定、現代の感覚では、なお現役世代の中心に位置しますが、昭和21年:1946年の連載開始当時においては、“初老”に近い落ち着きを漂わせる、一家の大黒柱として受け止められていたのでしょう。
それでも威厳を保ちながら、婿のマスオさんとも対等に語り合う場面も多く、俳句・盆栽・囲碁を嗜む趣味人的な一面も持ち合わせ、酒席では陽気さも見せる、その人間味が物語に温かみを与えています。
厳しさと情味を併せ持つ浪平さんは、その後、どのような人生を歩んだのでしょうか?
■ 磯野家の家族構成| 家長 | 磯野浪平 |
|---|---|
| 妻 | フネ(専業主婦、穏やかに浪平を支える) |
| 長女 | サザエ(結婚後も実家で同居) |
| 婿 | マスオ(いわゆる“マスオさん”。会社員で温厚) |
| 孫 | タラオ(マスオサザエ夫婦の一子、浪平、フネの孫) |
| 長男 | カツオ(小学生、浪平に叱られる筆頭) |
| 次女 | ワカメ(しっかり者の小学生) |
内閣府が令和7年6月10日に公表した『令和7年版 高齢社会白書』に示された資料、「平均寿命の推移と将来設計」によりますと、日本人の平均寿命は、戦後一貫して伸長してきたことがわかります。

一方、就労に関しては高年齢者雇用安定法第8条により、従業員の定年を定める場合は、その定年年齢は60歳以上とすることが義務づけられています。
加えて、高年齢者雇用確保措置として、定年年齢を65歳未満に定めている事業主は、その雇用する高年齢者の65歳までの安定した雇用を確保するため、「65歳までの定年の引上げ」「65歳までの継続雇用制度の導入」「定年の廃止」のいずれかの措置(高年齢者雇用確保措置)を実施する必要があります。(高年齢者雇用安定法第9条)
さらには、高年齢者雇用安定法の改正(平成25年4月1日施行)により、定年年齢を65歳以上70歳未満に定めている事業主又は継続雇用制度(70歳以上まで引き続き雇用する制度を除く。)を導入している事業主は以下のいずれかの措置を講ずるよう努める必要があります。
この結果、下記の厚生労働省の集計にあるように、60歳定年というラインは定着します。

戦後の日本企業においては、1960年代までは55歳定年が主流で、1990年代後半には60歳へ完全移行、2010年代以降では再雇用・継続雇用で65歳までの雇用確保が一般化し、一部では70歳まで就業機会を拡大しています。
1960年代において退職後の人生が10~15年だったものが、1990年年代には15~20年、直近では20年以上と、徐々に長くなっていることが分かります。
それでは、その後の人生にはどのような地平が開かれているのでしょうか。
① キャリア「延長」型・・・・知識・人脈・肩書を最大限に活かす
明治の産業界の巨人、渋沢栄一は晩年、実務の第一線を離れながら、500社以上の企業設立や経営助言を行い、「日本資本主義の顧問役」として機能しました。
定年前に培った専門性や業界知識を、そのまま形を変えて活用することで、心理的なハードルも低い手堅い選択かもしれません。
大手証券で管理職以上を経験した人に最も多いパターンであり、証券人の価値が最も高く売れるルートでもあります。
それは、上場基準・IR・ガバナンスといった業務に、精通していなくとも、なじみがあること、企業のCFO・IR責任者との人脈、説明責任や数字の言語化に慣れている点が挙げられます。
ただし、収入は現役時代の3~5割程度、仕事量は激減、責任は限定的、元○○証券という看板が消えると急速に需要が減るという世界でしょう。
② キャリア「縮小・再定義」型・・・・同じ分野だが、責任と負荷を軽減
江戸時代の隠居制度の変形のようなもので、家督を譲った後も、実務助言や調停役として影響力を保つ暮らしでしょうか。
同じ仕事内容ながら、フルタイムや管理職からは退いて、裁量のある働き方へ移行します。
収入は減りますが、精神的には安定してストレスフリー、定年後の“助走期間”としては望ましいものかもしれません。
ただし、給与は半分以下、元部下が上司になる、決裁権・裁量なし、というプライドを打ち砕かれるようなかもしれません。
それでも、安定収入を優先する、組織に属することが苦でない方には向いているでしょう。
ただし、身に着けた“マーケット感覚”は急速に陳腐化する、デジタル化・AI化についていけないと居場所がないということを肝に銘じておく必要があります。
また、この型での極点は、独立型:IFA・投資顧問ですが、一見、華やかに見えても成功者は少数でしょう。
定年前から自分の顧客を持ち、顧客から個人的な信頼を寄せられ、コンププラ意識が極めて高いという極めて高いハードルがあります。
ましてや、SNS・集客ができないようでは全く不向きです。
③ 異分野挑戦型・・・・「好き」や「未練」を仕事にする
商人として隠居後、50代から測量を始め、日本地図を完成させた“四千万歩の男”こと伊能忠敬、このカテゴリーの先達です。
現役時代は時間的・社会的制約でできなかったことに挑戦しょうとする姿勢で、成功率は高くないものの、自身の満足度は高くなるように思えます。
体力・資金・家族の理解が不可欠ですが、「趣味を仕事にして嫌いになる」例もあることから、実は満足度の判定は難しいものかもしれません。
それでも、数字感覚や損益分岐点への執着、キャッシュフロー管理など証券人として身に着けたスキルは強みでしょう。
それでも、自分はビジネスが分かっているという過信や、仕込み・接客・肉体労働といった現場仕事への耐性不足は否定できません。
④ 社会貢献・公共奉仕型・・・・「収入」より「意味」を重視
五千円札の肖像で知られる新渡戸稲造は、晩年、教育・国際協調活動に専念し、公のために生きる姿勢を体現した巨人でした。
収入よりも、社会との接点や役割意識を重視するパターン、どうも日本ではこの型が増加傾向のようです。
生活費の心配がないような方々向けのようですが、競争や成果主義から距離を置きつつ、定年後の孤立防止や健康維持に効果アリかもしれません。
⑤ 仕事離脱型・・・・趣味・家庭・静かな生活
鎌倉時代に仕官先でキャリアを捨て、放浪と和歌に生き歌聖とも称された西行法師が理想形でしょうか。
修行僧のように、あえて「何者かであること」を捨てる、無為自然たる境地、実は精神的に最も難しいものではないでしょうか
定年後は年金+貯蓄で悠々自適(悠々自宅?)で趣味の会やサークル中心の生活ですが、社会的役割の喪失感、健康管理、人間関係と悩みは尽きません。
⑥ 遅咲き型・・・・第二の人生が本番
会社員生活を全うしたわけではりませんが、地方紙の記事が長かった藤沢周平や、銀行マン生活を経験し半沢直樹シリーズで成功を収めた池井戸潤、などがいらっしゃいます。
定年前は無名・平凡でも、定年後に本領を発揮し、大輪の花を咲かせる例も多々あります。
実は自身の経験を書く証券人は一定数存在されているような感がございます。
例えばバブル・ITバブル・リーマンショックを経験した回顧録等々、世間への警鐘や自分自身の人生整理を含め、書店にはこの手の書籍が散見され、何やら、むかしの商人・相場師が晩年に残す市井の知恵書のようにも見えます。
ここでは、私自身と交錯したお二方をご紹介いたします。

黒木亮氏(くろき りょう、1957年 – )
北海道赤平市生まれ。
早稲田大学法学部卒、カイロ・アメリカン大学大学院(中東研究科)修士。
早稲田大学、競走部で箱根駅伝に2年連続出場、第55回大会(1979年)では、3区のランナーとして2区の瀬古利彦からトップで襷を受け取り、首位のまま4区へ繋いだ韋駄天です。
ランナーとしての半生は自伝的長編『冬の喝采』にほぼノンフィクションで綴られておりますケース
大学卒業後、都市銀行、証券会社、商社勤務に23年あまり勤務し、国際協調融資、プロジェクト・ファイナンス、貿易金融、航空機ファイナンスなどを手がけられました。
2000年10月に上梓した国際金融小説『トップ・レフト』で小説家としてデビュー、2003年に専業作家となり、1988年以来ロンドンに在住されております。
出張する際の長距離フライトの機内などで、国際金融の現場での出来事をノートに書き留め、作品の下敷きとされたそうで、作品中の細かなエピソードも現場仕込みで、ドキュメンタリータッチに仕上がっているとことが、元同業者として大いに感じ入るところです。
既に、経済小説の分野では大物として存在感を示されており、この分野での第一人者と言っても過言ではありません。

吾妻光良(あづま みつよし1956年 – )
東京都牛込柳町生まれ。
まず、吾妻氏自身が日本経済新聞 2019年6月28日附 朝刊 文化欄に寄稿した記事をご覧ください。
会社員バンド、勤続40年 これが人生の楽しみ方/吾妻光良
吾妻光良&ザ・スウィンギン・バッパーズを始めて40年になる。学生の頃に結成したリズム&ブルースのバンドだ。ソニーやビクターなどから8枚のアルバムを出しているが、いわゆるプロではない。12人の大半がサラリーマン。自分の仕事を抱えながら活動してきたアマチュアバンドだ。
私の担当はギターと歌だ。原点は1971年、ブルースの帝王B・B・キングの来日公演を見た夜に遡(さかのぼ)る。以来、本場のブルースのとりこになった。
早稲田大学に入学し、ロックサークルの部室でギターを弾いていたら、隣のジャズサークルの男が「うるせー」と怒鳴り込んできた。それが今のバンドのベーシストだ。
私はプロのバンドでギターを弾き、全国紙に大きく取り上げられた。4年の時「どこに就職するの」と母に聞かれ「この記事を見てよ。俺はプロになるんだ」と答えた。母は泣き崩れた。父は他界していた。「あと1年やらせてください」と頭を下げ、私は5年生になった。就職も決めた。
何人かプロになったが大半は途中でやめて定職を持った。脱サラして自営業に転じた者もいる。全員忙しかった。練習スタジオに集まったのは3人という日もあった。
転勤者には赴任期間中の代役を探してもらった。海外駐在になったメンバーもいたが、年に何度か帰国する日に合わせライブの日程を組んだ。
バンドは年々うまくなったかといえば、そうでもない。それぞれの仕事が最も忙しかった30~40代はむしろ下手だった。楽器に触れる暇もなかったからだ。近年はぐんと良くなった。還暦を過ぎ、個人の練習時間が増えたのかもしれない。
吾妻氏は、在京大手テレビ局の音響技術分野の幹部という本業を定年退職。そのサラリーマンとの決別が、同時にプロの音楽家宣言として、40年来の希望が叶うという、キャリア構築を為された方です。
他の中核メンバーも同じような状況であり、サラリーマンの゛第二の人生゛の在り方という点でも注目して良いのではないでしょうか。
証券人のリタイア後の人生は、三つの基準軸をめぐり展開されます。
証券人は現役時代、常に評価され、順位づけされる人生を生きています。
定年後の幸福度は、評価されない時間を楽しめるかどうかで決まる、と言ってよいでしょう。
営業の重要ツールであった、ゴルフ、カラオケ、それも一流となればもちろん結構ですが、人生いろいろです。
市場から離脱しても、満員電車から降りても、宴席が無くとも、人生から退場するわけではありません。
第二の人生のピークは静かに始まります。
<参考>
[ 2026.02.28 ]
[執筆者プロフィール]
一燈。1980年大手証券会社入社。企業派遣留学として米国でMBA取得。その後、シンガポール・香港駐在を通じアジアビジネスに、 また本社経営企画部門で経営戦略の立案等に関わる。