
金利とは何か?
証券人ならば、誰もが答えられそうな問いですが、改めて尋ねられると意外に言葉が詰まります。
古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、その著書『政治学』で利子を「貨幣が貨幣を生む不自然な行為」と厳しく批判しました。
貨幣はあくまで交換のための道具であり、自ら利益を生むものではない・・・そうした倫理観を示したのです。
一方、近代経済学の祖、アダム・スミスは『国富論』の中で、利子は「資本を効率的な事業へ配分する重要な対価」と位置づけました。
利子率が市場を通じて資金の流れを決め、経済全体の生産性を高める・・・そう考えられたのです。
さらに、現代マクロ経済学の父、ジョン・メイナード・ケインズは『雇用・利子および貨幣の一般理論』において、金利を「貨幣を手放すことへの報酬」、すなわち流動性を放棄して固定化する対価と定義しました。
日本でも、福沢諭吉翁は、金利は資本使用の対価として当然存在するものと説明、河上肇は、利子は資本主義経済の所得分配機構の一つであり、貨幣所有権への報酬であるとしております。
経済学者以外でも、堺屋太一は金利とは「未来への期待を映す価格」であると述べ、城山三郎は金利は「企業経営者にとって最も現実的なコスト」であるとしております。
同じ「金利」でも時代によって、倫理であり、価格であり、政策手段であり、と多様ですが、だからこそ金利ほど、経済の背景となる思想を映す鏡はないのではないでしょうか。
また、金融市場には、金利にまつわる数多くの警句があります。
伝説的投資家ウォーレン・バフェットが好んだ比喩に「金利は資産価格にとって重力のようなものだ。」というものがありました。
株価も、不動産も、企業価値も、最後は金利という絶対的なチカラに抗うことはできないというものです。
この日本でも「政策には逆らうな」という相場格言があります。
政府/日銀が「利上げ・金融正常化」の舵を切っている以上、それに反して「いずれまた金利も戻る」という前提の投資は避けるべきとも読み取れます。
さて、英国の経済誌『エコノミスト』などの主要経済誌ではこんな皮肉が展開されていたことがあります。
ゼロ金利は、無料のランチが永遠に続くと人々に錯覚させる。
もちろん、そんな宴は長くは続かないものですが、日本は、その”無料のランチ”を30年近く食べ続けてきました。
そして、それを当たり前と思う証券人が育ってしまったのではないでしょうか?
現役証券人各位は、生まれた時から金利がほとんど存在しない世界で育ってきたかもしれません。
住宅ローン金利や普通預金金利は相当な低利で、定期預金に預けても、その利息では自動販売機で一本の飲み物も買えない・・・金利とは、教科書には載っているが、実際に利息という形でその存在を実感する機会はほとんどなかったでしょう。
1989年12月29日、大納会の終値3万8,915円87銭を天井に、日本のバブル経済は崩壊していくことになります。
地価・株価は大暴落し、金融機関は大量の不良債権を抱え、景気は悪化していきます。
企業は抱え込んだ負債の解消を主要な経営課題とし、設備投資を控え、資産効果が消えた家計も財布のひもを固く締めることとなります。
経済活動における需要が消滅したのです。
日本銀行は景気を支えるため、公定歩合を次々に引き下げましたが、景気回復の兆しは見られず、やがて1999年、日本は世界で初めて本格的なゼロ金利政策へ踏み込むことになります。
しかしながら、企業の投資意欲が復活することはありませんでした。
そこで日銀はさらに量的緩和を開始し、市場へ大量の資金を供給しましたが、企業は内部留保を積み上げ、家計は貯蓄を増やしただけでした。
こうして、日本経済は世界でも例を見ない「低金利・低成長・低インフレ」の均衡に入り込んでいきました。
日銀は2016年9月にイールド・カーブ・コントロール(Yield Curve Control:YCC)を駆使して、一層の金融緩和に突き進みます。
日本は市場で決定するはずの長期金利まで中央銀行がコントロールする時代に踏み込んだのです。
元来、債券市場は、「金利は市場が決める」という鉄則の上に成り立っていましたが、その価格形成そのものが政策の対象となったのです。
その結果、日本の証券人は、「金利を読む」という経験を積む機会を失ってしまいました。
代わって市場を支配した言葉は、「ETF買い」「日銀オペ」「YCC」「マイナス金利」・・・市場参加者は企業ではなく、日銀を見るようになり、市場を読む力を少しずつ失い、日本の証券人は「金利なき世界」の住人となっていきました。
だが歴史を振り返れば、異常なのは金利のある世界ではなく、金利のない世界の方なのです。
1980年に証券人としてのスタートを切った私は、集合研修と外務員試験を終えて、数人の同期と共に、国内支店に赴任いたします。
出社初日、挨拶の席で、支店長から「株価は何で動くのか分かるか?需給関係だ!」という堂々たる訓示を頂きます。
無い頭でいろいろ考えずセールスに邁進せよという意味であったのか、深淵なる株式市場の真実を何もわからぬ新人に教えていただいたのか良くわかりませんが、少なくともそこに金利動向という視点はありませんでした。
それでも、新人は毎朝、債券部などに問い合わせ、国債利回りを確認して営業場で伝達、営業もディーラーも、「今日は金利が上がったから株が売られる」「今日は10年債が7ベーシス上がった」「ドル円より金利を見ろ」「長期金利が動けば株も動く」・・・ごく自然に会話が交わされていたものです。
この時期、私の記憶に残ってるいるのが、いわゆる「ロクイチ国債」の暴落ショックを受けた当該債券のパッケージ化とアモチゼーション(Amortization)会計処理の導入という大きな出来事でした。
アモチゼーション(Amortization)会計処理
債券を額面より上回って取得して満期まで保有する場合、償還時の額面と取得価額の差額が損失となり、その損失を一度に計上するのではなく、所有期間に応じて均等に分散して簿価を平均的に引き下げていく会計処理のことを言います。
当時は、銀行株、建設株、不動産株、電力株の商いにも、少なからず金利動向により評価を変えるもので、営業職は自然に金利や景気全体を眺める習慣を身につけていたものです。
ところが2000年代に入り現出した金利なき世界では、営業現場からも金利が消え、主力販売商品は投資信託、アジア株や米国株、ラップ口座へと移っていったものです。
皮肉なことに、金融商品の種類は飛躍的に増えていきました。
ETF、REIT、毎月分配型ファンド、レバレッジ型商品、ロボアドバイザー、NISA、iDeCo・・・説明すべき商品は増えたのに、その根底を支える金利という共通言語は、少しずつ忘れ去られてしまいます。
株価指数は語れる、PERやPBRも説明できる、AI関連株や半導体株の話題にも詳しい、しかしながら、「実質金利とは何か?」「タームプレミアムとは?」「イールドカーブがスティープ化すると何が起こるか?」こう問われると、急に言葉が止まる・・・金利なき世界では、それを学ぶ必要性を感じなかったのです。
米国では1980年代に大きく発展した金融工学により、すべての金融商品が金利を変数として説明され、金利を媒介として金融商品同士が相互に結びつけられるようになりました。
オプション価格を算出する、あの有名なブラック・ショールズ・モデルでも、リスク・フリー・レート(無リスク金利)は重要な入力変数です。
その結果、先物・オプション・裁定等々の新しい金融商品が、市場の取引に厚みを加え、新規の参加者を誘導する事となりました。
また、企業の経営戦略、特に投資の可否を判定する際に、その投資が産む将来の収益の現在価値を測る方策として金利による算定、いわゆるディスカウント・キャッシュ・フロー方式(Discount Cash Flow)が常識となりました。
企業の資金調達に際し、証券マンと調達企業の間で同じ言葉(Lingo:共通言語)で議論できる土壌が築かれたのです。
投資に際し、企業価値も、不動産価格も、M&Aの評価も、年金運用も、すべては金利という物差しの上に成り立っている世界。
そこでは証券人の仕事は、自分勝手な相場観を語ったり、易者のように罫線表(チャート表)を振り回したりする怪しげな仕事ではなく、合理的な判断を提供する先進的な仕事に激変したのです。
斯様に、米国の金融市場では‟金利”が最も重要な金融指標であり、個人の投資行動でも常に気を配るべきものと理解されてきました。
一方で、日本だけが失ってしまった金利の感覚、それは市場が決定するという実感でした。
経済原則として、需要が強ければ価格は上がる、供給が多ければ価格は下がる、金利動向も同様のはずです。
資金が不足すれば上がり、余れば下がる、この単純なメカニズムが、経済全体の資源配分を決定するはずです。
ところが長年の金融緩和は、その価格機能を大きく棄損し、市場参加者は、「金利は市場ではなく日銀が決めるもの」と他力本願の発想に陥ってしまいました。
それは一時的には景気を支える政策として機能したかもしれませんが、証券人が、市場の価格形成そのものを体感できなくなったのです。
なにやら時代遅れの古参兵の繰り言のようですが。価格は教科書で学ぶものではなく、市場で身体に染み込ませるものなのです。
だから経験の欠落は、知識では簡単に埋められません。
現在、日本では「貯蓄から投資へ」が国策となり、新NISAによって株式投資は国民的なテーマになっております。
そこで本当に求められているのは株や投資信託を買う技術ではなく、金融を理解する力なのです。
例えば、「今年の株価はどうなるでしょうか?」と聞かれたら、まず確認すべきは企業業績に加え、政策金利はどう動くのか、長期金利はどこへ向かうのか、実質金利は上がるのか、下がるのか、為替は何を織り込んでいるのか・・・こうした問いを積み重ねることが、本来の資産運用のはずです。
金利は決して専門知識ではなく、証券人の共通語であり、市場はその文法であるはずです。・・・
昨日から学び、今日を生き、明日を望め。大切なことは、疑問を持ち続けることだ
Learn from yesterday, live for today, hope for tomorrow.
The important thing is not to stop questioning.
となります。
幸いなことに、日本はようやく「金利ある世界」へ戻り始めたばかりですので、若い証券人諸氏は、これから学べばよいだけです。
むしろ、今こそ絶好の機会であり、証券人としての基礎体力を鍛え直す時代到来なのです。
学びは未来への投資、ゼロ金利しか知らないという経歴は、決して弱点ではなく、それを乗り越えてこそ、新しい『金利ある世界』の第一世代になれるのです。
大手書店の店頭では、投資入門書のコーナーが大きな棚を占めておりますが、金利に特化した入門書も散見されます。
私も大量の入門書をいろいろと吟味した上での判断では決してありませんが、本書は金利に関わる世界を平易に解説しているもので、目を通して頂くことをお勧めいたします。
上野 泰也(著)
実際の金利をめぐる金融市場の現場を解説した書には、こんな好著もございますが、こちらは少々、専門的な解説書ですので、ご興味があれば、とさせて頂きます。
東短リサーチ 加藤 出(編集)
一見、難解に見える金融工学も、突き詰めれば「金利」という変数を使って、時間の値段=現在価値をどう扱うかという技術なのでしょう。
金利は企業経営まで変えてしまいます。
金利がゼロに近ければ、借入れへの心理的な抵抗は薄れ、低コストで資金を調達し、現預金を積み上げる。
しかし、金利が上昇し始めると風景は一変します。
借入金の利払いが増える、設備投資の採算ラインが変わる、M&Aの買収価格は見直される、不採算事業を抱えたままでは利益が残らない・・・つまりは金利の上昇は、「経営そのもの」に規律を与えることになります。
私たちの老後を支える年金基金も、運用利回りによって将来の給付能力が変わり、生命保険会社は長期金利を見ながら保険料を設計します。
さらに、国家も例外ではありません。
金利がわずかに上昇するだけでも、将来の利払い負担は膨らむことになります。
日本銀行の金融政策は、株価だけでなく財政運営にも深く関わっていることは説明を要しません。
斯様に金利は、市場だけの数字ではなく、国家の未来を左右する数字なのです。
相場のノイズに惑わされず、背後で市場全体を動かす「重力」を感じ取る力こそ、これからの時代の真の競争力になるのではないでしょうか。
生成AIの登場で、株式投資に関する環境は大きく変化しました。
企業分析は驚くほど容易になり、決算短信は数秒で要約され、PERやPBRは瞬時に国際比較が可能になる、DCFモデルもAIが作成できる・・・だが、AIにも苦手なものがあります。
それは、市場の空気を読むことです。
市場心理、人間の欲望、恐怖、熱狂、そして、その空気を如実に映し出す価格こそが金利なのです。
金利は数字でありながら、人間の期待と不安の集合体でもあるのです。
だからこそ証券人は、数字の裏側を読む感性を失ってはならない、それこそが、金利ある世界を生きる証券人のお作法なのではないでしょうか。
<参考>
[ 2026.07.31 ]
[執筆者プロフィール]
一燈。1980年大手証券会社入社。企業派遣留学として米国でMBA取得。その後、シンガポール・香港駐在を通じアジアビジネスに、 また本社経営企画部門で経営戦略の立案等に関わる。